住まいに快適さや安全性、デザインや美といった世界観を投影するタカラレーベンだからこそ、いにしえの建築物へのオマージュを忘れてはいけない。
そのためにも、日本全国に遺された造詣深き建築物を追い求め、誕生にまつわる時代背景と際立つデザイン性の真価に迫りたい。
日本で唯一、ネオ・バロック様式による宮殿建築。
もともとは東宮御所として建設され、1974(昭和49)年以降、現役の迎賓施設として外国からの賓客をお迎えする場所となっているのが「迎賓館赤坂離宮」である。
その意匠的な特徴は、日本で唯一のネオ・バロック様式による宮殿建築物であること。
1909(明治42)年に建設された当時、欧米で主流となっていたネオ・バロック建築を、皇太子殿下にふさわしい建物として日本人だけで造ることを目標に設計されたという。
その後、大規模改修工事を経て、2009(平成21)年には日本の建築を代表するものの一つとして、国宝にも指定された。
現在、接遇に支障のない範囲で、通年で一般公開されている。
正面玄関の鉄扉を開けた先、賓客を最初に迎えるのが、目にも鮮やかな真紅の絨毯が敷かれた玄関ホール。床に施された市松模様には、イタリア産の白い大理石と宮城県産の黒い玄昌石が採用されている。絨毯に誘われるように中央階段から2階へ、金箔で彩られたアーチ状の天井を仰ぎながら進むと、そこは8本のコリント式大円柱が印象的な大ホール。イタリア産の大理石による円柱には美しい紫斑紋が描かれ、空間のアクセントにもなっている。今回の取材で拝見させていただいたのは、晩餐会などの招待客に食前酒をふるまう場として利用される「羽衣の間」と、主に晩餐会が催される「花鳥の間」。かつて舞踏室とも呼ばれていた「羽衣の間」は、迎賓館の西側に位置。謡曲「羽衣」の景趣を描いた天井画が圧倒的な迫力を生み出している。クリスタルガラスを主体に約7000個ものパーツを組み合わせた迎賓館随一の大きさを誇るシャンデリアも圧巻。舞踏会を催す際に音楽を演奏するオーケストラボックスも備わっている。深い森のような落ち着きをもたらす「花鳥の間」は、四季折々の花や鳥を描いた楕円形の七宝焼の額が印象的な空間。天井にはフランス人画家による油彩画24枚と金箔地に模様を描いた絵が12枚張り込まれている。絵には狩りで仕留めた鳥や獣などの姿もあり、貴族の伝統的なジビエ料理の思想に触れることも。壁と天井に描かれた花鳥の扱いの違いから、和と洋の花鳥に対する感性の違いに触れることもできる。壁と天井に描かれた花鳥の扱いの違いから、和と洋の花鳥に対する感性の違いに触れることもできる。かつて舞踏室とも呼ばれていた「羽衣の間」は、迎賓館の西側に位置。謡曲「羽衣」の景趣を描いた天井画が圧倒的な迫力を生み出している。クリスタルガラスを主体に約7000個ものパーツを組み合わせた迎賓館随一の大きさを誇るシャンデリアも圧巻。舞踏会を催す際に音楽を演奏するオーケストラボックスも備わっている。
西欧の宮殿を模しながら、和の要素を散りばめた豊かな独創性。
迎賓館赤坂離宮の魅力は、本館内部だけではない。
ネオ・バロックの特徴ともいえる線対称で美しい外観はもちろん、正門から本館に至るまでの前庭、南側の主庭もまた見逃せないポイント。
車寄せ及び階段附属、正門・塀、東西衛舎、主庭噴水池、主庭階段は、本館とともに国宝に指定されている。
前庭や主庭(予約不要)、和風別館(要予約)も一般公開されているので、ぜひ本館と一緒に見学しておきたい。
迎賓館赤坂離宮を訪れたとき、まず始めに圧倒されるのが、カメラにおさまりきらないほどの左右のボリュームだろう。ネオ・バロックの特徴を色濃く表現する線対称で美しい外観には、訪れた人々を広げた両翼で包み込むような大らかさを感じることができる。 西欧の建築様式の中に日本的な要素が散りばめられているのも見逃すことができない。正面中央の屋根には一対の鎧武者像が鎮座し、左は口を開け、右は口を閉じることで“阿吽”の形をとっている。その鎧武者像の左右に配置された天球儀と霊鳥の装飾には、「鎖国がとけて間もない日本が世界に羽ばたいていけるように」との願いが込められているという。 本館の南側に広がる主庭の中央で目を引くのは、創建当時からその姿を変えることのない噴水。彫刻の石組みの上に青銅製の水盤を置いた構造で、中段の水盤の上にはシャチ、噴水塔を囲む緑石には亀の姿があり、その四方を伝説の生物グリフォンが見守る。噴水の位置が本館よりも低く設計されているため、列柱が並ぶ南面の背景と調和し、ビルひとつない空の下で創建当時と変わらぬ景観を眺めることができる。
東宮御所として建設
明治の洋風建築技術の総決算
皇太子殿下(後の大正天皇)のご成婚を控え、洋風の東宮御所(皇太子殿下のお住まい)を新たに建設する気運が起こり、
明治時代の洋風建築をリードした英国人ジョサイア・コンドル博士(工部大学校(現東京大学)の造家学科教授)の直弟子である片山東熊の総指揮の下、
著名な学者、芸術家、技術者等が総動員されました。
皇室財産から行政財産へ、庁舎としての使用
第二次世界大戦後、建物と敷地は国へ移管
戦後、皇室財産であった赤坂離宮の建物とその敷地は、国へ移管されました。 国立国会図書館(1948~61年)、法務庁法制意見局(1948~60年)、
裁判官弾劾裁判所、同訴追委員会(1948~70年)、法務省訟務局(1948~61年)、憲法調査会(1956~60年)、
東京オリンピック組織委員会(1961~65年)、臨時行政調査会(1961~64年)に使用されました。
赤坂離宮を改修して迎賓館に
閣議決定を経て、大規模改修工事がスタート
戦後十数年たって国際関係が緊密化し、外国の賓客を迎える機会が多くなり、国の迎賓施設を整備する方針が立てられ、赤坂離宮を迎賓館に充てることとされました。
赤坂離宮を迎賓館へ改修するに当たっては、文化財的価値を保存しつつ、賓客が快適かつ安全に宿泊でき、かつ、公式行事が行えることなどを基本方針とし、
本館の改修を日本芸術院会員の建築家・村野藤吾に、日本風の接遇を行うための別館の新設を同じく日本芸術院会員の建築家・谷口吉郎に設計を依頼しました。
国宝指定
創建100年後の2009年に国宝に指定
創建当時の建造物である旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)本館、車寄及び階段附属、正門・塀、東西衛舎、主庭噴水池、主庭階段が国宝に指定されました。
迎賓館赤坂離宮では、その魅力を内外へ発信することによって、迎賓施設としての意義及び文化財としての価値の理解を促進することを目的として、通年での一般公開を行っています。また、もっと多くの方に迎賓館の魅力を知ってもらうため、不定期ですが、ピアノ演奏会や前庭でのバイオリン・チェロの演奏会、夜間公開といった特別企画を実施しています。
7~10月は、鯉の餌やり付和風別館ガイドツアーも実施中です。一般公開や特別企画に関する情報は迎賓館HPや公式Twitterでもお知らせしておりますので、ぜひご活用ください。
内閣府迎賓館総務課長 北村 実
- 敷地面積 約12万平方メートル
- 本館構造 鉄骨補強煉瓦石造、地上2階(地下1階)
- 延床面積 約1万5000平方メートル
- 〒107-0051 東京都港区元赤坂2-1-1
- 一般参観に関するお問合せ 03-5728-7788(テレフォンサービス)