住まいに快適さや安全性、デザインや美といった世界観を投影するタカラレーベンだからこそ、
いにしえの建築物へのオマージュを忘れてはいけない。
そのためにも、日本全国に遺された
造詣深き建築物を追い求め、
誕生にまつわる時代背景と
際立つデザイン性の真価に迫りたい。
色褪せない建築の世界
日本に遺る美しい建築を巡る紙上クルーズ
継ぎ継がれる京町家の
建築美学
リモートワークという働き方が定着しつつある今、住まいに仕事場を設けるというケースも増えています。
こうした職住共存の考え方は、長い歴史の中で知恵と工夫を重ねた住まいとして発展し、今に遺されているものもあります。
中でも、一軒一軒のデザイン性のみならず町並みとしても秀でた美しさを誇るのが、
京都の象徴的な建造物として知られる京町家です。
懐かしさ、奥ゆかしさ、温もりを感じられる伝統的な日本家屋ですが、
年間800軒もの京町家が滅失し、空き家も増加しているといいます。
脈々と受け継がれてきた美意識を後世へと継承していくためにも、令和の今、改めて京町家の魅力に迫ってみたいと思います。
京町家の特徴
京町家は、京都の町並み景観を特色付ける木造の伝統的な都市住宅です。瓦屋根、格子戸、出格子、虫籠窓、土壁などを有していることが、主な外観の特徴。都市の中で住民が高密度に暮らし、往来の人とふれあいながら商いをする建物であるため、外壁は通りに面しながら、隣の建物とは近接して軒を連ねているという特徴もあります。
個々の建物が連担(れんたん)というつながりによって町を構成しているため、その外観デザインには、共通のルールが存在していました。こうしたルールを守ることで、統一感があり洗練された町の風景が継承されてきたのだといえます。千本格子、瓦屋根、通り庇など外観の各部には、統一された寸法体系と素材があり、規格化されることによって合理性も持ち合わせていました。
また、間口は狭いながらも、中は深い奥行きがある、通称“うなぎの寝床”とも称される構造も特徴的。その間取りには、ルールを守りながら公と私、ハレとケを使い分け、自然と触れ合うための知恵や工夫が凝縮されています。
京町家の魅力 遺すべき日本の宝インタビュー:公益財団法人 京都市景観・まちづくりセンター
市民・企業・行政によるパートナーシップのまちづくりを推進し、京都らしい景観の保全・創造・質の高い住環境の形成などに取り組んでいるのが、公益財団法人京都市景観・まちづくりセンターです。特に京町家については、京都市がアクションプランというものを掲げていましたが、実は京町家の保全・再生の取り組みは、古い建物がどんどん壊されていくことに危機感を感じた市民の皆さんが立ち上がってスタートしたのが始まりでした。平成29年には京町家条例(京都市京町家の保全及び継承に関する条例)が制定され、その運用に合わせて京都市京町家保全継承推進計画が始まったところです。
新しい活動として、京町家等の適切な継承や活用の促進のため、31の団体と協力して様々な事業を実施している「京町家等継承ネット」というものがあります。その事業の一つとして、京町家所有者と京町家を利用したい事業者とをマッチングするポータルサイト「MATCH YA(マッチヤ)」を公開しました。京都らしい歴史や文化を感じる京町家等の不動産情報及び活用事例を積極的に発信しています。これまでも、住居はもとよりカフェやギャラリー、オフィス、宿泊施設といった用途で京町家を再生いただくケースがありましたが次はどういった企業がどのような用途で京町家の価値をみいだしてくださるのだろうかと、私たちも期待を寄せています。京町家を継承・活用し、地域に根ざした活動をしたいとお考えの方々からのご相談に応じます。
また、歴史ある建造物ですから、維持・改修も課題となります。そこで景観や伝統的な外観意匠に配慮した改修をするための費用を助成する「京町家まちづくりファンド」も立ち上げました。このファンドは市民の皆さまの御寄附を募り運営しています。地域まちづくりに貢献し、良好な景観形成につながる京町家の改修や通り景観の修景に対して、改修工事費用の一部を支援しています。一軒でも多くの京町家を次世代へ受け継いでいくため皆さまからのご支援をよろしくお願いします。
街に遺すべき日本の財産として
ずっと守っていきたいですね
公益財団法人
京都市景観・まちづくりセンター
西井 明里さん 宮浦 大樹さん(上写真)
- MATCH YA
- https://kyoto-machisen.jp/matchya/
- 京町家まちづくりファンド
- https://www.kyoto-machisen.jp/fund/
京町家の意匠
鍾馗さん
通り庇の上の鍾馗像。鍾馗さんは中国の唐の時代に疫鬼を退散させたという故事にちなんだ魔除けの神様です。
揚見世(バッタリ床几)
家の正面にある折りたたみ型の縁台です。昼間は、商品を並べたり客が腰をかけたりするのに用いられ、夜間は格子面を守る防犯装置の役割を果たしていました。
駒寄せ
軒下に設けられる柵で、道と敷地との間の境界の役割を果たしています。古くは牛馬をつないだという説もあります。
軒瓦
通り庇の軒先の瓦にもいくつかの種類があります。写真は瓦の下のラインが真っ直ぐに揃った一文字瓦と呼ばれる軒瓦です。軒瓦も、統一感のある町並みを作っています。
格子
格子の形は糸屋格子、染屋格子などと呼ばれるように元々は職業によって異なっていました。光や風を通しながら視線を遮ります。
通り庇
間口いっぱいに設けられた庇は、軒下で通りと一体的な利用がなされ、連なることで統一感のある町並みを生み出します。
京町家の種類
総二階(本二階)
2階の天井高が1階と同程度の高さです。明治末期から大正時代にかけて完成した様式です。
つし二階
2階の天井が通常より低く、虫籠窓が多く見られます。近世中期に完成し明治時代の後期まで一般的に建てられた様式です。
平屋建
京町家の特徴を持つ一階建(平屋建)の建物です。
仕舞屋
元々専用住宅として建てられた、表に店舗を持たない京町家です。表の窓の開口部(出格子)が小さくなっています。
大塀造
仕舞屋の中でも特に裕福な商人の専用住宅として建てられた塀付きの京町家です。通り側に高塀があります。
看板建築
近代的なビルに見えるように京町家の表側を全面的に改修した様式です。元の外観に戻すことは比較的容易です。
京町家は、それぞれが単独の建物でありながら、町の中で軒を連ねる建物の内の一軒として、連担して町を形成する要素となっています。その外観デザインは、それぞれ細かな違いはあるものの共通したルールもあり、全体の調和を守るデザインが継承されてきました。
京町家の屋根は、統一された寸法体系による瓦屋根というのが、連担のルール。統一感のある町並みに寄与しながら、瓦そのもののデザインで微妙な変化を生んでいました。また、隣の家と接しているので、屋根の妻側の端部である「けらば」を隣家と重ね合わせることで、双方の建物に雨が侵入しないような工夫も施されていました。
玄関は、大きな荷物を運ぶときは「大戸(おおど)」、日常の出入りなどには大戸の一部に設けた「くぐり戸」を利用していました。防犯や室内温度を一定に保つためです。また、玄関の格子には、光や風を通す目的のほか、外を歩く人から家の中が見えにくく、家の中からは外の様子がよく見えるという防犯機能もあります。
両隣の建物や庭との連担のルールをベースに、仕事場である「店の間」、生活の場である「台所(だいどこ)」、お客様をお迎えする「座敷」を表の通りから奥庭まで通じる「通り庭」でつなぐのが一般的な京町家の間取り。狭い間口からは想像もできない奥行きが広がり、その間取りは「うなぎの寝床」と例えられています。
京町家の歴史は、平安時代にまで遡ることができます。地方から平安京へと移って商いを営んでいた人々が、大路・小路に面した空間に暮らしの拠点となる小屋を造ったことが起源といわれています。江戸時代に入ると、それらは大工の技術や工具の発達によって発展。京町家の洗練された様式がこのとき確立されました。明治後期には、窓や格子窓などがガラス窓に変化。西洋文化の影響も受け、大正期には洋風の外観をもつ「看板建築」への改修も行われるようになりました。また、昭和末期から平成にかけては、社会経済構造の変化やバブル景気の影響で、都心部において京町家の滅失が急激に進行。一方で京町家の保全・継承への機運が高まり、空き家などの新たな活用も始まっています。
遺すべき建築の美学が街をいつまでも美しく輝かせる
日本を代表する有数の観光地として国内外から絶大な人気を誇る古都、京都。
石畳による産寧坂の先で四季折々の風景が眺められる清水寺、祇園祭でも知られる八坂神社、回遊式日本庭園が広がる円山公園など、思わず心を奪われる名所が、そこかしこに存在感を放ちます。
こうした町並みを散策することで気づかされるのは、町全体に京都ならではのDNAが息づいているということ。
新しい建築物であっても、どこかしら日本人の琴線に触れる京都らしい風趣を垣間見ることができます。
このような温故知新──新と旧の融和による価値創造は、遺すべきものを遺しながら現代に適応させた柔軟性によるデザインの妙技ともいえます。
今ではその数を大きく減らしつつある京町家も、1000年を超える歴史の中で磨かれてきた京都の生活文化の象徴に他なりません。
京町家の可能性を広げる新たな価値の創造は、これまでの伝統や意匠、文化を後世へと受け継ぐための、私たち日本人の課題であるともいえます。
伝統を未来に伝えるために、まずはその魅力に触れることから始めてみるのも良いかもしれません。